やはり立原で一日。
2016年 02月 07日
日がな一日、立原正秋の随筆を読みふけった。
「この鎌倉の文士は、本当に李朝が好きなんだな・・・」と思う。
李朝白磁、高麗青磁からにじみ出る無作為な美しさは他に類がない。
日本の侘び茶の発達と高麗茶碗は切り離せないが、たとえば井戸目のあの無作為の美しさはなんだろう。と書き綴っている。
李朝白磁、高麗青磁を愛してやまなかった立原、その背景には父親の存在が色濃く出ているようだ。。
以下、立原の文章から
五歳か六歳の頃、私は染付の白磁の壺をおとして割ってしまったことがあった。
父は私を叱らず割れた白磁をひろいあつめ、割れたところをよく視ておけ、と言った。
・・・中略
一人の人間が身につける美意識が一代で成ることはまずあり得ない。
以上が立原の文だが、最後の一文は常日頃、私が思っていることなので妙に親近感が湧いたところ。
京都など歴史ある街へ行くと、「文化は100年ではできない」、と正直に平伏す気持ちになる。
200年、300年とは言わないまでも、一人の人間がオギャーと生まれた時に、既にその環境があるのとないのとでは大きな違いがあるわけだ。
普段、何を見、何を聞き、何を話しているか、、、。
一方で住環境という側面では経済発展を考える、併せて最近では防災の観点からも。
「京都も歴史的なものは点でしかなくなりつつある」とはある著名な旅館の女将の言葉だが、
街造りも、、この相反するカテゴリーをどうまとめて行くのかが行政の仕事であり、市民の心意気なのだろうが、
悲しいかな、なかなか成功例は見ない。
壊す例をはよく見るが、いざ作ろうとしたとき、文化は100年ではできないのである。
by seki222
| 2016-02-07 21:17
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